2015年3月20日金曜日

瞑想って何? その3 〜 心の寝ぐせ





もし鏡がなかったとしたら、私たちの生活はどんなでしょうか?





朝起きてから全く鏡をみないという人は多分あまりいないはずです。(もしいらしたらせめて一度くらいは見た方がいいかもしれません…)


私たちは鏡があるからこそ、寝ぐせをなおして仕事に向かえるし、お化粧をきめてデートに出かけたり、今日の服装のコーディネートがうまくいっているかをチェックしたり、ひげをそったりできるわけです。


鏡が「三種の神器」にも入っているのは、鏡が神代の時代から、それほど私たちの生活にとって大切なものだからでしょう。






その様に、私たちは鏡に映すからこそ外見を直すことができます。でも外見は鏡に映りますが、それと同じくらい、あるいはそれより大切な「中身」は当然鏡には映りません。そして、見えないものは直しようもありません。


ではそんな鏡には映らない自分の「中身」を観るには、「心の寝ぐせ」を直すにはどうしたらよいのでしょうか?





瞑想は「心を観る鏡」ようなもので、瞑想とはこの自分の「心の寝ぐせ」を観ることだと僕は思っています。



もし朝起きて、自分の心を鏡に照らし、「あ、今日は何かイライラしてるな。ちょっと今日はいつもより気をつけよう。」という風に思うことができたなら、生き方は随分変わります。


自分の心の状態を意識をすることで、例えそのイライラをなくすことはできなくも、人と会った時にちょっと気をつけることもできるし、冷静に考えた方がいい大切な判断は今日は下さないようにしよう、なんていう風にすることだってできます。








またそれだけではなく、この「鏡」を使って、自分の心と体にとって、何が良くて、何が悪いのか、それを知ることもできます。



僕は毎朝夜明け前後に瞑想をしていますが、その時にその日の心と体の状態を測って、今朝は気力はあるけど体力はないとか、体力はあるけど気力がないとか、どちらもばっちり充実してるとか、そういうことも観ています。


そういうその日その日の「自分の心と体の状態」を意識するようになると、何が、どんな影響を自分に与えているかを知ることができるようになります。




というのは、
例えば今日起きて気分が悪いとしたら、それは

「昨日の食事の量が良くなかったのか?」
「あるいは食べたものが良くなかったのか?」
「食べた時間が良くなかったのか?」
「あるいは行った場所が良くなかったのか?」
「はたまた会った人が良くなかったのか?」
「あるいは、自分が誰かに言ってしまった言葉やとってしまった態度が良くなかったのか?」

どこかに何かの原因があるはずです。



そのようなことは、私たちの体と心に、多分今あなたが考えている以上に、大きな影響を与えています。





そういうことを意識するようになると、自然と自分に悪い影響を与えるような行動や生活は避けるようになるし、良い影響を与える生き方を選ぶようになり、心も、体も、常によい状態に保つことができるようになります。






「健康」という言葉の語源はという中国の古典(易経)にある「健体康心」で、「健康」とは本来、「体が健やかで、心が康らか(やすらか)であること」を指します。


心は体よりも微細です。体の観えていない人に、心を観ることはできません。僕の見る限り、殆どの人は自分の体の状態にすら気を向けていませんが、心の状態となると、尚更です。


(だからこそ、自分で自分の心や体の状態が観えないからこそ、検査の数値に一々振り回されて、喜んでみたり、怯えてみたりするのでしょう。)




朝起きて「ああ、調子がいいな」、と感じられて、穏やかな気持ちで「ああ、幸せだな」、と思えることこそが本当の「健康」であって、数値が高いとか低いとかはただの目安にすぎません。


本当の意味で「健康」になるために、心身ともにいつも元気でいるために、瞑想は是非オススメです。






ここまで何度か瞑想について書いてきましたが、これを機会に瞑想に興味を持ち、「始めてみようかな」という方が少しでもいれば幸いです。







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